11月ごあいさつ

 いつまでも初秋が続いてもう11月です。朝晩は気温が下がるのですが昼間は半袖で過ごせる。何年も前から9月は真夏の内ですが、暑い暑いと言いながらもそれでも日の落ちるのが徐々に早くなってくるのに気づき、夕暮れ色が白から茜に変わっていくわけです。でも暑いまま。せめて10月には期待するのですが、最も遅い真夏日とか富士山の最も遅い冠雪とか記録が毎年更新されていきます。地震や洪水とどうしても繋いでしまう天変地異です。当たり前の11月を望むことですがどうなりましょうか。

 

 昨年4年ぶりに開催して多くの皆様のご来臨を得て盛会裏に終えることができました、クリスマスロックンロールパーティーのご案内です。以下の要領で執り行います。

 

第24回 Xmas Rock’n Roll Party

  日時; 令和6年12月21日(土)18時から

  場所: 柳井市 ベルゼ 0820-23-7777

チケット: 5,000円 飲食付き  ベルゼ、弘田脳神経外科で販売(11月下旬から)

 

 今年もしっかりやります。楽しい時間をご一緒に!

 

                2024.11.1               弘田 直樹

10月あいさつ

 何年も前から9月までは夏です。から真夏日の猛暑日のはさして驚かぬのです。彼岸時のあの大雨(能登地方は重なる災害で気の毒でした)でがらりと気候が変わって、天気予想通りに空気が入れ替わったのでしょうか、朝晩の涼しさは有難いことです。暑さ寒さも彼岸までという言い伝えがそのまま当たったのでしたが、本来はそういう意味ではないだろうとツッコむほどに残酷暑だったわけでした。いかがお過ごしでしょうか。電気代がどうのこうの言う前にクーラーなしでは過ごせぬこと、食品物価高をどうこう不平鳴らしても食べぬわけにはいかぬこと、自分でお米や食材をつくれるわけでもなく。デフレ脱却のために物価を2%上げるぞとのアベノミクスは、給料上がっての物価上昇ではなく、原材料費高騰による価格転嫁の結果という顛末、物価上昇に給料がついて行かぬ現状。自画自賛していた安倍さん亡く、バズーカ放ってた黒田さんもすでに辞め、その責任はどうなるの?岸田さんは何やったのかよくわからぬままに、安倍一強をモデルに進めたものの結局安倍派の不祥事で足引っ張られて退いて、さらに高市では「もうお腹一杯」とばかりに石破を選ぶ自民党の面妖さ。日本という国が下り坂にあることは誰もが感じていることです。我々下々の生活が安全に且つ安定に保たれることを心から願うことです。

 今月もよろしくお付き合いください。

2024.10.1      弘田直樹

9月あいさつ

 猛暑日が何十日も続いた酷暑の8月、南海トラフに関連したものと公式に認められた地震がとうとう起こり、さらには台風が次々に到来して都心や本来台風被害に縁のないはずの東北地方に大雨を降らせて水害を残していく。異常気象と括られてもう何年も経っていますが「異常さ」が落ち着きません。毎年最高(最悪)値の更新を続けます。アスリートの誰かが言うていたそうですが、最年少記録は一度しかできないが、最年長記録は何度でも更新できる、これですね。データはさておき、肌感覚です。当地柳井は暑いと言うてもめったに35度を越えることはなかったのですがそれも昔話で。夜に気温が下がらぬのには驚きでした、30年前には我が家は田んぼの中にぽつんと建っていて「ああ、風が通るとはこういうことか」感心するやら嬉しい事でしたが、そのうちに次々に田んぼが住宅に変わっていき徐々に変化を感じていたのでしたが今年は昼の気温が高すぎて日が暮れても一向に冷めないという事態で。そういえば風が吹かなかったなぁと今気づいてます。日本は四季に恵まれた温帯モンスーン気候と習いましたがすでに亜熱帯ですね、台湾やフィリピンと同じ気候帯。暑い時期とそうでない時期の二季帯。海水温が上がることにより海だけでなく陸上の生態系も大きく変化してきていることを専門家の説明の前に住民が感じていて(サンマがマグロが、熊が鹿が猪がです)、地球を壊してきたのは私たち人間でしかないという事実を皆黙って認めながら、だからと言って現在の暮らしの利便を手放すつもりなど毛頭なくて。つまり後はどう壊れるのかしか残ってないぞと。その道すがらに私たちは立っているのでしょう。昔はこうじゃなかったぞ。思い出は作り話なのですけれど。

 今月もよろしくお付き合いください。

                  2024.9.1     弘田 直樹

8月あいさつ

 酷暑。災害級の高温。危険な暑さ。天気予報だけではなくニュース番組の枕に振られるフレーズです。太平洋高気圧の縁を回って湿った空気が流れ込みフェーン現象を起こすので高温になるとか、予報士達は得意顔でドヤ顔で解説してますが、何でそうなるのか、今までと何がどう違うのか言うてくれません。そこまで彼らの責任ではないのでしょう、現在の天候気象を説明するのが仕事なのでしょうが、こうこうこうだから暑いんですよ、こうだから台風が発生してこうやってくるんですよと説明はしてくれてもどうして?には答えません。エルニーニョのラニーニョと聞きはしますがあれも現象の名ですからね。福岡伸一さんが誰かとの会談で言うてました、科学は how には答えてくれるが、why には答えられないと(週刊文春、2024.7.25号)。現象を細かく分解しての説明は技術の進歩でできるようになっているけれど(還元主義)、真の因果関係、何故こうなっている?には答えられないというわけです。環境や現象の説明しかできぬのです。子供になぜ?なぜ?としつこく質問される、あれです。寛平爺さんがなーぜじゃ?どう~してじゃ?と繰り返すあれです。問い詰め続けるとどこか答えられなくなります。どうしてもじゃ!と。そうなっとるんじゃ!と。理由と原因とは違うけれど(因果関係と相関関係ほども違わないからでしょうが)混同してすり替えられてチョン。英語の how とwhy のようにはっきり区別できない。何故こんなに暑い?に答えられない。フェーン現象の説明じゃぁ答えじゃないのですが済まされてる。日本中世界中でエアコン回して外気温をさらに上げているから、なんてのもまことしやかです、夜に気温が下がらぬ一因ではありましょうが、日中の日差しの強さはこれでは説明できぬでしょうし。と、言うてる口から結局因果を求めているのですが。皆様、ご自愛ください。
 今月もよろしくお付き合いください。。

2024.8.1 弘田 直樹

7月あいさつ

 梅雨入りが遅くて雨が降るとやはり気温は上がらずに昼は蒸し暑くとも夜は夏蒲団を傍に眠る日々です。天気予報は今夏も酷暑だと言いふらします。ここ何年、照れば猛暑、降れば大雨の極端振れです。さすがに慣れたとはいえ、冷房なしにはとてもいられぬ状況、TVの天気コーナーはお為ごかしに迷わずに冷房を使えと年寄りに促します。要らぬ世話じゃと画面に向かって噛みつくわけですが、それだけ一家に一台、いや一部屋に一台、全国各家庭隅々にまで行き渡っている証拠でもあります。一昔前のようにクーラーが贅沢品であった時代にはこんな物言いはできなかったわけですから。そう言えば今経済発展の目覚ましいインドの象徴はクーラーの売れ行きの急増だとの報道がありました。何十年前の日本、白物家電を競って買い揃えていた時代、モノが売れる、給料が上がる、またモノが売れるの好循環が彼の国で繰り返されているわけです。今や中国を抜いて世界一の人口を誇る国の大発展です。その日本が円安で凋落です。十分に満たされて欲しいモノがなくなって金使わなくなって金が回らなくなれば安売り合戦になります、すればグローバル企業の一人勝ちです、地場産業が潰れるばかりです。デフレマインドがどうこうじゃなかったんですねこの結果は。新聞には日本の購買力が1/3にと見出しです。1ドルが75円の頃がありました、そこと比べると価値は半分以下の160円です(6/29)。なんとも政府の無策には腹が立つやら呆れるやらです。アベノミクスが失敗だったのならそうだと総括して対策打てばいいじゃないですか。いつまで安倍さんに忖度してるんでしょうね。月刊誌Hanadaは安倍さんの三回忌特集してます、死んだ子の年を数えても現状打開はできないでしょうに。

 今月もよろしくお付き合いください。

               2024.7.1               弘田 直樹

6月あいさつ

 コロナへの感染症法上の扱いが2類相当から5類に落ちてから一年が過ぎました。当初の夏、そして年末年始に昨年はインフルエンザも同時期に流行しましたので第9波10波と呼んでメディアは煽ったものでした。が、報道自体がトーンダウンして縮小されていましたので視聴者(国民)の感心も文字通りの尻すぼみ、一方で3年間自粛という名の同調圧力に負けていた世情が一気に緩み各種の催し会合や宴会が復活、マスクする人もどんどん少なくなりそして実際に感染者も減っていきました。当地ではもうインフルエンザは消えた状態、コロナも発熱例は抗原検査するからゼロにはならぬという程度ですっかり鎮静しました。今こそ遡り振り返りしてあの大騒動を総括する時と思いますが、政府や専門家たちは取り掛かっているのでしょうか。武漢ウイルスは人工物じゃなかったのか、ワクチンを独占していたファイザー、モデルナ社がウイルスを意図的に変異させたのではないのか、mRNAワクチンの安全性は?週刊誌や月刊誌に尽きることなく掲載される記事です。そして日本のあの対策が正しかったのかどうか。世界に比べて死者数が桁違いに少ないことこそが成功の証という論はよく観ますが、当初空気感染はしないと発表して世界各地でそうではない空気感染するのだと実証が上がって来てもなかなか認めようとしなかった日本学会の権威体質、過ちをなかなか認めようとしない、それにより対策が遅れて被害者を増やすという日本固有の固陋な旧弊への反省はどうなっているのか。次の新興感染症に備えよと厚労省は自治体にはっぱをかけてます、病床確保や発熱外来の充実などへの新しい仕組みが出来上がってはいます。でも、いざ発生したらまた同じことの繰り返しなのでしょうねぇ。古い知識規則定説に拘るだけの権威筋の専門家たちが学会ヒエラルキーの下位に向かってご託宣する、それを有難がる行政やメディアが下々の国民にあれこれの行動制限を掛ける。目に見えるようです。反省はあるのでしょうか。反省しても旧態依然は続くのでしょうねぇ。

 今月もよろしくお付き合いください。

2024.6.1    弘田直樹

5月あいさつ

 今年も暑い夏になるぞと予想が出ています。世界的な気候変動による不作不漁、食料品原材料不足に加えて、果てないように見える円安で物価はいよいよ高くなります。夏の電気代が・・という悲鳴が現実的になってきます。国は補助金を出すくらいの弥縫策しか打てず、ガソリン代も175円で高止まりです。岸田さんは明確な対応策を示すどころか、未だに裏金問題を処理しきれずにいます。大丈夫かいな。もっともこんな時にもっとあてにならぬのがエコノミストと肩書ひけらかしてる連中です。彼らの悲鳴(予想)が当たった例がないです。こんなに借金の多い国はない、今にデフォルトすると何人が言うてきたことか。してないですからね。アベノミクスを非難してきた者も多いですよ、今こそが「そう言うただろう?」とドヤ顔してるんでしょうが(円の価値が半減した、それは紙幣を刷りに刷ってジャブジャブにした所為だと)、でも安倍さんは円安を目指していたのだとの話を聞くと、ここが彼の終点だったのかとため息モノです。上記の如く気候変動やウクライナ戦争というモノの流通を妨げる出来事が起こったことは想定外だったにせよ、グローバリズムという嘘が露呈したりそれなりの現実ではあるのですが、安倍さんがよく言うていたデフレマインドの克服ってのには届きませんでしたね。今後もとても望めません。財布のひもはより一層固くなります。安倍さん、いい時に亡くなったんじゃないですかねぇ。岸田さんの次に、岸田さんが行き詰った後に三たび救世主然と権力を握る段取りだったんでしょうけれど。

 今月もよろしくお付き合いください。

                  2024.5.1        弘田 直樹

4月あいさつ

 当地では冬場小中学生に流行したインフルエンザも落ち着いてきて、コロナも消えませんが数はうんと減りました、そして暦に合わせたように暖かい春の到来です。元日の能登大地震に始まって、異様な暖気に覆われたかと思うと大寒気に包まれて北国だけでなく東京に大雪を降らせ交通網を混乱させる。当地は雨の多い冬だったなの感想です。春が来ました。年度替わりをこの季に設定したのは多くの日本人が抱いている桜の花に対する感傷が背景に似つかわしいからだという説をどこかで見ましたが、確かに日本人のセンチメントは花鳥風月と密接です。自然を愛でる文化です。出会いと別れを花に詠う。梅や桜になぞらえる。軍歌に汎用されたのももちろん同意趣です。日本人の琴線に触れる。散る桜 残る桜も散る桜。あの西行の歌もそうです。こんな歌もあります。花びらを 追う花びらを 追う花びら。やがて桜前線が北上していきます、春爛漫は目の前です。華やぎと一抹のもの寂しさのないまぜになった今だけの季節感を存分に楽しみたいことです。

 今月もよろしくお付き合いください。
                     2024.4.1 弘田 直樹

3月あいさつ

 どれだけ時季外れの気温になろうともやはり2月は2月です、3月というこの字面の持つ早春感、はなやぎ感には敵いません。いかに冷たい風が吹こうと「春は名のみの風の寒さ」よと明日を待てるこの感覚です(もっとも、旧暦では2月は春ですが)。大地震に見舞われた能登半島への無情の雨雪をTVで観つつ、各地で降ればドカ雪、晴れれば初夏並みという気候の乱れが跋扈した今冬でしたが、それも過ぎたことになりました。

 コロナ縛りが解けてもうすぐ一年です。年次行事が当地で復活してコロナ前との比較が話題になります。田舎の当地でもマスクせぬ人の方が増えてきました会合の場でも。年末の東京では混んだ電車の中でのノーマスク状態に驚いたことでしたが、それが田舎者の証拠だったというオチでした。こちらも追いついてきました。学校の卒業式でも何年かぶりに校歌の斉唱が聞かれました(コロナ禍の間は大相撲千秋楽の国歌斉唱の際のように、心の中でお歌いください対応でしたから)。各地で何年かぶりの今まで通りの歓送迎会や春の催しが計画されるのでしょう。これも甘酸っぱい早春感というやつですね。

 今月もよろしく付き合いください。

                  2024.3.1        弘田直樹

2月あいさつ

 正月早々の能登大地震は気の毒なことでした。元日の午後4時なんて、よくもそんな時間に‥と思うことで。コロナ禍が明けて久しぶりに帰省した人も多かったでしょうに。都会の災害と田舎の災害の相違をまざまざと感じることでもありました。学者たちを甚く刺激したことでもありましょうが、まずは情報量の違いですね。つまり現場へのアクセス手段の差。TV各局すぐにヘリコプターをチャーターしたのでしょうが遅かったですよね。据え付けのカメラの映像では後世残るような画像は撮れず、津波警報をNHKアナが命令口調で伝えていましたが、その時にはすでにあちこちに大津波が押し寄せていて。あんな田舎町に都会並みの耐震家屋やら道路の整備ができているはずもなく、都会でも寸断されやすい水道電気が無事であるはずもなく。古い木造家屋はひとたまりもなく押し潰されて、道路は飴の様に曲がり波うち、液状化現象とやらで電柱や信号機は半分以上埋まり。同じような田舎町の当地を思うに、水道は隣町から山を下って来る一本の導管に頼るのみ、電気も火力発電所を構えていますがすぐに止まるでしょうしと、全く他人事ではないことでした。どこでいつ起こるやもしれぬ大災害に前もって備えるなんてことは現実問題としてできぬこと、となると発災後の対応こそがマニュアル化されて‥という流れですが、支援物資が、全国自治体公務員による人的支援が、有志ボランティアたちが続々と差し向けられる、メディアは義捐金を募るといった一連の光景は見慣れたものになってます。仮に予知能力が向上して(今のようにここ30年内に大地震の起こる確率といった曖昧ではなく)もっと正確になったとしても、前もって転居しますなんてことにはきっとなりません。大津波には逃げるしかないと誰もが分かっていてもです。来たら逃げる。ダメなら仕方ない。そう思ってそこに住み続ける人が大半でしょう、年寄りになればなるほどに。ならば防災って何?です。雨には降られるのみ、風には吹かれるのみ。この諦観ですね。

今月もよろしくお付き合いください。

2024 2.1              弘田直樹

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