12月のごあいさつ

 トップページで案内しておりますが、今年もクリスマスパーティー開催します。お友達をお誘いあわせの上どうぞ皆様お越しください、今年も楽しい時間を共にいたしましょう。コロナ禍で3年の空白を余儀なくされて後、一昨年再開して、今回で25回を数えることができます。ひとえに来場くださる皆様方のご厚情に負うものと心から感謝しております。有難うございます。今年もマージーボックス、キャバーンはビートルズナンバーを演ります、そしてゲストのヴィンテージにはあの珠玉のベンチャーズナンバーを演奏してもらいます。大人のロックンロールパーティーはかくあるべしと念じて参りました。おいしい料理、楽しいお酒、体に響く生バンドの迫力、そしてあの懐かしい曲々。どうぞ一年の締めくくりとしてお楽しみいただきますようご案内いたします。
      25th Xmas Rock’n Roll Party
日時 令和7年12月20日(土)18時スタート
     場所 柳井市 ベルゼ 0820-23-7777

今年も一年お付き合いいただきまして有難うございました。時事にからむよしなし事書き続けておりますが、これも読んでくださる皆様方あらばこその仕儀、今年一年のご厚誼に対し感謝御礼申し上げます。一年締めくくりとして師走この月が皆様によい時でありますように。そして是非来年もよろしくお付き合いいただきますようお願い申し上げます。
           2025.12.1 弘田直樹

11月のごあいさつ

 夏が大きく出張ってきて10月下旬まで半袖で過ごせてたことでしたが、さすがに先月最終週から朝晩一気に冷え込みました。夏が前後に伸びて四季ならぬ二季の国になってしまうのか、今にゲリラ豪雨が定期のスコールに変わるんじゃないのか。昔社会の時間に習った温帯モンスーン気候は過去の話になってしまうのでしょうか。

初の女性首相が誕生して私は楽しみでならぬのですが、「女の敵は女」の箴言よろしく、福島瑞穂や辻元清美、高橋純子などの歴々からだけでなくあちこちからもっと女らしくしろ(そうは言いません、女だからと意地張って爺連中のように威勢を張りすぎるな、あなたは私たちとは違う女だという何とも排他的な掣肘です)との批判が飛んで来てます。就任早々に外交デビューの場面が続いて、就中トランプさんとの首脳会談が思いのほかにうまく進んで、彼女は幸運にも恵まれているようです。岸田石破と閉塞感に息が詰まりそうだったところへ急に窓が開いて一陣の風の様相です。どうか日本を立て直してもらいたいと思うこと頻りです。

 今年のクリスマスパーティーは以下の要領で開催予定です。今年も皆様とともに、楽しい時間を送りたいと思っています。多くの方々のご来場をお待ちしています。
           乞う ご期待!

25 th Xmas Rock’n Roll Party  第一報
 日時:令和7年12月20日(土)18時~
 場所:柳井市ベルゼ 0820‐23‐7777
 会費:5000円 飲食付き
 出演:マージーボックス キャバーン ヴィンテージ

※チケットは1カ月前からベルゼと弘田脳神経外科で販売します

 今月もよろしくお付き合いください。
                2025.11.1 弘田 直樹

10月ごあいさつ

 長く続けておりますブログ「柳蔭書翰」ですが、先月7日よりURL変更しております。ぜひ続けてご愛顧いただきますようお願いいたします。

 猛暑の夏がやっと過ぎて先月の末から秋風が立ち始めました。9月は秋だとはさすがに思わなくなってもう久しいのですが、10月が近づいてくるとやはり涼しさが恋しいことではありました。一雨ごとに涼しくなる実感、日がどんどん短くなっていくせつなさ、夕陽の色が白から茜色にかわっていることへの気づき、いつの間にかツクツクボウシも聞かなくなり夜の虫の音に移っている。夏が去っていく風情です。一雨ごとにと暢気に書きましたが、降れば大雨の傾向は已まず各地で大水害を引き起こしてます。橋をも流し去る河川の大氾濫なれば誰の所為でもないと諦めるだけでしょうが、どこかの地下駐車場の大浸水事例は事後の検証顛末を聞いても都会災害の象徴なのでしょうね。防災設備(止水板と言うてました)は一応施設基準通り整ってはいたが、何年か前から故障していてそれを業者も行政も知っていて修理せずにいて今次の大雨。とんでもない大雨までを想定しての施設基準だけれども、誰もがまさかそんなことは起こらないと思っている、故障していると毎年の点検(これも施設基準のうちです)で指摘されても、まぁ大丈夫だろうよそのままでと前年踏襲が続いて行く、果たして今次と。想定外を想定しろとこれもステレオタイプに事後非難が浴びせられる、特に行政相手の場合は反論されませんから容赦なく。都会型の水害事例の典型でしょう。水は低きに流れる。水は方円の器に従う。上善は水の如し。老子ならずとも、です。

今月もよろしくお付き合いください。

2025.10 1         弘田直樹

5月挨拶

今年の冬から春への移りは激しいものでした。寒暖の差の激しい毎日、一旦暖かくなると桜を慌てさせるほどの速さで進んでいく。4月に30℃を越えるなんて、です。こんな時も甲府や熊谷といった夏の高気温で売ってる地区は軒並みランクインしてる。各局の天気予報はそれぞれに工夫を凝らして知らせてくれます、予報技術の向上は確かに頷くところです。季節の移りを有難いと感じるようになって久しいですが、それをどう表現するかがその民族の文化であり、それをあれこれ見聞きするようになって感じ入り感心もし、その相乗効果で四季の移ろいを愛でるようになったのではあります。異常気象と喧しかったのでしたが、それでも桜は咲いて散って葉桜に移っていく、いつもの通りです。花冷え、渡辺淳一風にはリラ冷え、5月の連休前にはええ?と肌寒い日が混じるのですが、それも確かに当地ではありました。これもいつもの通り。平均値。こういう時の比較基準は過去何十年のデータです、平年並みかそうでないか。今までも異常気象が何度も繰り返されてきたわけです、その都度平年値(平均値)と如何に違うかと表現されるのですが、次の年にはその異常値もデータの一つに含まれて押し均べられる。その時は平年並みではない数字も次の年には平年値の一つとして組み込まれる。なんか不思議な不条理な感じもしますが、いつもとどう違うか程度の比較に過ぎぬのですから目くじら立てる要もないわけで。その時々の体感を具体的な数字で確認する。それだけの意味ですけれど。とまれ、薫風さわやかな五月です。うだる夏を前にこの季節楽しみましょう。今月もよろしくお付き合いください。

2018.5.1?????? 弘田直樹

2018年 1月のごあいさつ

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。
このブログを始めましてやがて丸12年を迎えます、ひとえに読んでいただける皆様のお陰さまと存じ居ります、有難うございます。

昭和天皇の崩御、その後の日本中の「自粛」モード、特にTVがこぞって歌舞音曲を控えて暗いトーンの画面に終始するあの横並びの異様さはまざまざと思い出すことですが、あれから30年です。新年早々の昭和64年1月7日でした。で、今上天皇は来年4月で譲位される。今年が平成の御代の最後の年です。昭和で30年、平成で30年生きたことになります。こういう区切りになるなんてもちろん思いもよらぬことでしたが、皇太子(浩宮)もやがて還暦です、譲位が先例になるでしょうし80歳が目安になるのでしょう。

ともあれ今上天皇には健やかにお過ごし願いたいと思うとともに、平成の30年を振り返る機会にせねばならぬと思うわけです。

皆様におかれましては今年もよいお年でありますようにお祈りいたします。

2018年1月1日、弘田直樹

7月のごあいさつ

梅雨入り宣言の出た途端に雨が降らなくなるのは今まで何度も経験のあることです。空梅雨かどうかはあくまで結果論です、何日降らなくても大雨が来れば降雨量の帳尻だけは合うわけですからね。最近は降れば土砂降りという笑えぬ傾向がありますからええ加減に降ってくれ!と単純に雨乞いもできかねる所、当地柳井は昔から夏は干上がります。雨が少ない。近隣の岩国、下松に大雨が降ってもここに降らない。当時から不思議に思ってたことですが、これは今も同じです。具体的には私の幼少中高時代は毎夏に給水制限してました。夜に水道水が出なくなるのです。小中校の給食も中断です、この時期だけ弁当持参です。母親連中は仕事が増えて大変だったでしょうが、私達は楽しかったです。めいめいの弁当の中身がそれぞれ違って、面白かったのを覚えてます。ひとえに水ガメが小さかったことと降雨量が少ないことが原因なのでしたが、現在は遠く岩国の山奥から水を引いて(分けてもらって)夏の渇水はなくなりました。受益者負担で水道料は高くなりましたが。そんな柳井も何年か前に大雨が降って市中が冠水、膝上まで浸水したことがあります。あの記憶は消えませんね、あの時の尋常ならざる雨音雨足だけじゃない、空いっぱいに亘る異様さです、気味の悪さ。ゲリラ豪雨との言葉がすでにあったかどうかは覚えませんが、あの頃から全国に「降れば土砂降り」傾向の生じたのでした。降るべき時に適度に降って暑い夏がやってくる。そう願いたい所ではあります。暑い夏。昔は暑い夏が大好きでしたが、年をとるに従ってああそんなこともあったねの昔話に変わっていきます。私が子らを海に連れまわしたように、その子らが我が子を連れていきます。私の役目は終わっています。夏を好きでいなくてもよくなりました。そういう納得です。

皆様におかれましては暑さに負けずご自愛いただきますよう。今月もよろしくお願いいたします。

2017.7.1        弘田直樹

5月挨拶

 大地震はどこで起こっても困ることなのですが、東京を襲うであろう直下型地震、広範な太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらすとされる南海トラフ地震がその象徴として挙げられていますから、それ以外の地区はいわばノーマークです。今次の熊本地震もええ?の典型でしたか。誰も何の警戒もしてない所へ果たして来る。すると必ず「それ見たことか」という者が出て来る。「だから言ったじゃないか」とするりと向こう側に回って批難する者が出て来る。責める相手は行政ですから一方的です、決して仕返しされませんから言いたい放題です。熊本は地震のない地域ではない、300年400年前にはこういう記録があると引っ張り出してどうだ?!とデータを揃えて「科学的に」批判する。何の役に立ちましょうや、事が起こってからあれこれ遡って言いたてても。地震は活断層型とプレート型に大きく分けられるようで、阪神淡路や山古志村が前者、東北大津波が後者。東京に来るのが前者、南海トラフは後者。活断層は日本中に存在するのだと今更のように、原発再稼働反対運動の最大の根拠にされているのはご存知の通りですが、専門家が地図を指し示します。山口県にも大きなのが3本あって、その一つはJR岩徳線に沿って存在して、ここが揺れたら当地柳井も大被害でしょう。どうか歪みが溜まっていませんようにと、学者の口吻を真似ることです。でも所詮はそこに住んでいることの因果応報です、そこで生きているから被る災害。分類区分けは学者の学問上の便宜でしかないのです、地震が起こればどれも同じ結果ですから。あの東北大地震大津波の後にそこに住む人が言ってました、海から今迄あれだけの恵みを受けてきたのだ、こういうことも辛抱せねばならぬことだと。この言葉に極まると思うのです。恩恵も災禍もその地に生きていればこその必然です。深い諦観。周りがガチャガチャ騒ぎ立てる(安全地帯にいて同情するふりをしながら被害の大きさを映画のように楽しんでいるのですから)ことではないのです。被災者を見世物にしていることにも気づいていないふりですから。ここにも偽善と欺瞞の満ち充ちていることです。

2016.5.1  弘田直樹

4月のごあいさつ

新年度。日本の昔からの慣習でしかないことなのですが、幼少時から身に沁みたこの季節感はやはりいいものです。桜の季節に新生活。New face 達の緊張がほほえましいし、彼らを迎える側もやはり気分は一新されるというものです。同級の連中はいよいよ定年前の最後の一年になります。公務員などの定年のある職の宿命とはいえ、もちろん頭ではやがて自分の番が来ることはわかってたこととはいえ、目前に迫りきたる思いや如何に。幸い(なのかどうかはわかりませんが)にも私は定年のない職に就いていますので、自ら企てぬ限り新局面は現出しないのですが、人生を考える、振り返るだけの積み重ねが一応残って来た年齢に達して、今後の事に思いをはせる機会は確かに増えました。人生の岐路とよく言いますが、これはあくまで後から振り返ればの評価であって(結果論)その時どきで感じることではないと思っていますが、明らかに昨日と違う毎日が始まる、ページがめくられる時ってのはこれも確かにあって、定年のように予定強制的に訪れるもの、病気事故災害などで突然陥る不測の事態、一念発起による自発的転機。成功した時にもうまく行かなかったときにもその原因として人生に刻まれるわけです。悔いのないようにとはよく聞くフレーズですが、これも言い訳にすぎぬこと、自らの背を押す言葉でしかないわけです、迷うことだらけの人生ですから。悔いのあるなしは結果で判断することであって、ひとえに失敗した時の言いわけを前もって口にしているだけの事ですが、矢沢永吉が車の宣伝で言ってるようにやりたいことやる人生の方がうんと面白いのは正しいでしょう。で、我が身に翻ると・・。ああしたい、こうなったらいいなとあれこれ考えはしてきましたが、あれこれ選択している時間がなくなったことにも気づくわけです。ああ、もうそんなに時間が残ってないぞと気づくわけです。急げ。なのでしょう。背を伸ばして。です。

今月もよろしくお付き合いください。

2016.4.1??     ? 弘田直樹

イベント中止のお知らせ

ご案内しておりました8月9日の柳井市レトロスクエアでのイベント、台風接近が予想されることから中止となりました。久々の夏の出番で張り切っておりましたが、残念です。

よろしくご了解ください。

平成26年8月7日  弘田直樹

7月のご挨拶です。

夏です。当地柳井は海辺の町です。だからどうこうと無理矢理に繋ぐつもりは全くないのですが、幼少時から夏は海です(でした、さすがに歳とってからは行きません)。小学校時分に学校にプールができて、夏休みに地区別に振り分けられて二時間だか三時間だか開放されてたこと思い出します。あれはあれで手軽で楽しかったですが、やはり海でした。海辺に住んでいたのではないので、裏の垣の向こうが海だとかの環境ではなく、海に行くには自転車こいで30分くらいかかったのでしたが、それもまた楽しで。中学生時分は運動部にいました、当時の常識は今の非常識なのです、練習中は水なんて飲ませてもらえません、約4?5時間の練習で水が飲めるのは一度の休憩15分の間だけです。でもそれで熱中症(という概念が当時あったのかどうか)で倒れた奴なんていませんでしたがね。夏休みも水泳は禁止です、他の筋肉を使うなとか冷やすなとか色々理由を言われましたが、夏の大会が終わるまで盆近くなるまでは泳いではいけませんでした(体育の授業はOKでしたね何故か)。で、解禁されて部員同士で海に行くんですが、他の連中は真っ黒に灼けてるのに俺達だけが真っ白けで恥ずかしかったもんです。当地の海水浴場は(黒島)綺麗な白砂の浜で、しかも遠浅。潮干狩りができる所でした。遠浅ですから藻もすごくて、潮が引いている時はとても泳げないことでした。ちゃんとした脱衣場がなくて、男どもはそのあたりの陰でパパっと着替えたもんです。強い陽射し、真っ白い砂、濃い青の海。海は東に広がり西側は山を背にしてましたから夕方が早いんです。すぐに影になる。遠くの海はまだ白く光ってるのに、座っている砂浜には夕暮れが迫っている。盆過ぎたら海坊主が出て足を引っ張られるから海には行くな。そう言われたもんですが、盆過ぎてからの方が景色は風情がありましたね。夕陽が茜色に染まる、あの季節感です。子供が小さい頃は、こいつらが行かないと泣きだすくらい連日海に出かけてました毎夏。体は真っ黒、お陰で今は背中一面シミだらけの汚いことになってます。癌化すれば自業自得もいいところです。でも海は好きでした。その夏が今年もやってきました。今は思い出すだけの海の夏です。

2012.7.1? 弘田直樹

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