4月のご挨拶

毎年あることなのでしょうが、
今年は寒の戻りを強く感じる三月でした。

梅が遅かったですから桜はまだまだよという話でしたが、さすがに下旬は春の陽気、当地でもあちこちで桜がほころび始めてます。年頭の三ヶ月はあっという間に過ぎます。時の流れに違いなどなく夏だろうが秋だろうが三ヶ月は三ヶ月なのですが、新年が明けてから新年度までの3カ月は殊更に早く感じます。から新緑へ。桜が散って葉桜になり、辺り一面に綺麗な勢いのいい緑が萌える。四月から五月上旬までの薫風吹く季節。暑くなるまでのこの二カ月、悪くないことです。皆さまにはいかがお過ごしでしょうか。

マージーボックスは例年の如く春は眠りの季節です。
もっとも秋冬のイベントの構想練に大事な時期でもあります(といつも言い訳してます)。今年はクリスマスパーティーが15回目を数えますのでビートルズをよりたっぷりとより充実してお送りしたいと思っています。柳井(田舎)でもこれだけできるという高いレベルを目指したいと考えています。一方で個人的には、二年ぶりに自作曲の披露を別途行ないたいと目論んでいます。音楽はとてもたのしいことなのですが、演奏を聴いてもらう以上は相応のレベルが必要です。そのためには技量向上、スキルアップだと心得ています。

聴きに来ていただく以上は相当の音を。
今後もきちんと弁えて精進して参ります。

乞うご期待。

2012.4.1?????? 弘田直樹

2月のご挨拶

今年は寒い冬なのでしょうか。
一月には当地柳井で零下5度なんて朝がありました。
体感温度とよく言いますが、これは温度計が示す温度と実際に思う寒さとか乖離する時に使います、風がびゅうびゅう吹いてるときには寒く感じる、あれです。
ですから使い方がおかしいのかもしれませんが、あの朝は、というか気温が零下とそうでない時は明らかに体感する寒さが違います。寒い地にお暮らしの方には何?に言っとる?と呆れられることでしょうが、風も吹いてないのに外気が痛いです。気温零下の時はそうです。そう気づくのが楽しかったりして、きれいに晴れた空にくっきりと浮かぶ皎々たる月を眺めて肩をすぼめるのもオツなものです。
暖冬が続いていて、柳井から冬がなくなったのうと爺さんが言ってましたが、もともと温暖の地です、雪も積もるなんてのはめったにない土地柄ですが、それでも水溜りに薄氷が張る朝、薄く降った雪が凍って歩きにくい朝があったもんです。そういえばなくなったかなぁとぼんやり幼少時の登下校を思い出すことです。記憶は都合よく消され強められしているのですが。

ともあれ今年は寒そうです。どうぞ皆様ご自愛ください。
今月もよろしくお付き合いください。

2012.2.1?????? 弘田直樹

2012年新年のご挨拶。

明けましておめでとうございます。
今年も皆様によい年でありますようにお祈りいたします。

毎年思うことですが、時間の過ぎることの早さが切実です。そして、あれもしたいこれもしたいという希望から、ああならぬようにこうならぬようにという消極的な願いに変わって行く昨今です。いえ、今年もアクティブに情熱的に物事に当たって行きたいと思っていますし、体力が気力が萎えしぼんでいるわけでもないのです。が、これだけ!と突き進む形から、これを外しあれを除いて周りを調えていくうちにそのモノが残ってくるという形に移行していることに気づいてます。ご先祖様を眺めて自分の実働限界はせいぜい70歳だと決めつけているのですが、するとあと15年足らずなのでした。15年・・・クリスマスに開催しているパーティーが今年で15回目です。
「ええ?もうそれだけしかないの?」
今まではそうは言っても笑ってられたのでしたが、いよいよにカウントダウンかと切実感が湧いてきています。いつまで自分の足で自分の頭で突っ走れるのか。走れるところまで走るしかないのですが、まこと思っているほど時間は残っていません。チンタラ無為に無策に過ごすほど時間は残っていません。今年もこうやって始まり、あっという間に過ぎていくのでしょう。ぼんやりしている暇はないのかもしれません。ゆとりとかスローライフとかを批判しながらどこかで憧れてという年齢になってしまいましたが、やはり前のめりにつんのめりながら走って行くのが私の性なのでしょう。
死して後已む。今年もしっかり生きていきます。

皆様方には倍旧のご交誼賜りますようお願いいたします。

2012.1.1??? マージーボックス 弘田直樹

盛会御礼!!(クリスマスロックンロールパーティー)

24日のクリスマスロックンロールパーティー、
つつがなく盛会裡に終えることができました。
ご来場いただいた皆様には厚く御礼申し上げます。

毎年あれこれ工夫をしているつもりでおりますがいかがでございましたでしょうか。皆さまにお楽しみいただけたならこれに勝る幸せはございません。改めまして感謝いたします。有難うございました。

来年も皆さまにはよい年でありますようにお祈りいたします。

そして、
今回お顔を拝することができませんでした皆さまには、是非とも次回にはお会いできるよう願っております。どうぞ生の音(音楽)を体で聴く素晴らしさをご体感下さい。来年もしっかりやります。

2011.12.25? マージーボックス 弘田直樹

イベントのお知らせ!

2011xmas2
※ 日  時
平成23年12月24日(土) 17時30分開場 18時開演
※ 場  所
ベルゼ
※ チケット
前売りのみ:4,000円
(ベルゼ、または弘田脳神経外科で販売します)
連絡先:090-3375-6051(弘田まで)

地図(開催場所)

merseyboxライブ開催場所

ポスター

poster
※クリックすると大きなポスターに!

10月のあいさつ

9月までは夏ですと、いつか書いた覚えがありますが、果たしてその通りとなりました。朝晩はさすがに涼しくなりましたが昼間の蒸し暑いこと、陽射しの強いこと。温暖化などと言うと、エコの節電の自然にやさしくだのとここを先途とうるさいことになりますが、でも昔からこうだったんじゃないかと言えば、そうかもしれませんよね。
とかく私達は昔話は美化します、都合のいいように作り変えてます、と言うか、都合のいいようにしか覚えません。夏休みが終わって二学期が始まってすぐに涼しくなったわけじゃないですよね。
36℃や37℃なんて気温はなかったです確かに。33℃位が最高で。当時はクーラーなんて家にはないですから、室外機もないですね、ヒートアイランドなんて言葉もなかったですね。特に田舎では夜になると風が渡りました、山から海から田んぼから畑から吹いてきましたから。気温を押し上げる要素が今より少なかったから気温そのものは今ほどに上がらなかったんでしょうが、9月も十分に暑かったですよね。9月中に30℃を超えるなんてのは別に珍しいことではなかったはずです。9月は秋だと決めつけるからいけない。そういう話ではあるのでした。

さて10月です。
マージーボックス、今月も今のところイベントの予定はありません。
先の8月、当地柳井の夏の恒例金魚ちょうちん祭りで演らせてもらいましたが、それっきりです。こういう年もありかなと言い訳をしていますが、恒例のクリスマスロックンロールパーティーに向けて鋭意充電中ということではあります。

今年の開催は12月24日土曜日です、イブに当たります、三連休(の方が多いのでしょう)の真ん中です。今年も趣向を凝らしてお楽しみいただきます。
乞う、ご期待!

2011.10.1 ???弘田直樹

9月のご挨拶

やはり暑い夏でした。「・・・でした」ではなく9月はおそらく初秋ではなく夏なんだと思うので、未だ暑い夏ですと言うべきでしょうか。季節の移りを先んじて愛でるはとても文化的な情緒的なことで、暑い時はどこへ行っても暑い!とか、くそ暑いのに暑い暑いと言うな!とかそういう野で粗な物言いはやめましょうよという話、

「夕暮れが早くなりましたね」

なんて感じていればいいんです、ああ秋が来るなぁと待っていればいいんです、それでも暑いですなんてこと言わずに。秋の気配は必ず濃くなります。行っては戻る時間の流れ。行きっ放しの時間と循環する時間。五十何回繰り返してきて、五十何回目に初めて気づく事ごとの多さ。楽しむべきなんですね、きっと。

ところで、

例年9月末には野外イベントをもっていたのですが、今年は国体の関係行事が多く、あちこちとぶつかってしまって開催できぬこととなりました。我々も非常に残念に思っているのですが、こればかりは致し方なく、ぎりぎりまで交渉しましたが10月上旬の山口国体、何十年に一度の地元開催の大イベントとけんかするのも大人気なく、今年の開催を見送ることといたしました。先に案内をしておきながらバタバタと中止のお詫びをせねばならぬことになりました事、お許しください。年末のパーティーは必ず開催します。また11月には別のイベントが組めればと考えています。その節には改めてご案内します。申し訳ありませんでした。

2011.9.1 弘田直樹

8月のご挨拶です!

先月の末に長女が出産しました。

6月の末に兄貴の結婚式を機に出産のための里帰りをしていたところ、予定日を丁度一週間過ぎて無事出産しました。端から私には何の役も与えられてはいませんし、それは役に立たぬことの確たる自他共通認識によるもので、私はあわわあわわと慌てていればよかったわけですが、それにしても心配は心配で。

赤ん坊より母体、長女の安全を心配するのです。

これは不思議にくっきり気持ちの差がありました。長女にどうか無事に生んでもらいたい。赤ん坊に無事に産まれて来いはその結果として付いてくることと思ってました。もちろんどちらが欠けても好ましくないのですが、不幸にも医者ですから、出産をめぐるトラブル多く見聞きしています。何とか母体を、母体を安全に、と祈ることでした。祈るしかできないというのはまさにこの環境です。この時ほど男と女の差が剥きだされることは他にないでしょうが、女はすごいと、我が娘に教えられる思いでした。いえ、私には子が三人います。我が子の誕生の際にもそう感じていたはずなのですが、実は私は碌な亭主でなく、三人とも一度も出産前に女房の背中の一つも擦ってやったことがないのです。長女の夫がこれがまたやさしい男で、陣痛の間中傍で声をかけ痛がるところを擦ってやっていたとの報告を女房から受けるにつけ、女房の強い非難を痛いほど感じながら、私の若い頃の身勝手さ、自分勝手さが嫌でも照らし出されて、女房はこの道を三度もくぐって来たのかと今更のように感動することでした。

それを今、長女が果たそうとしている。

生まれたと携帯が鳴った時には涙があふれて言葉になりませんでした。くどいですが孫の誕生にではなく、娘の無事にでした。ああ、女房がお産の時には義父はきっとこの思いでいたんだろうなと、妹の時には父親が、そういう思いもよぎりました。その歳になったらその役を全うするだけ。人生はそういう繰り返しだと見切っているつもりなのですが、いいえ、頭の中の理解と実際に心揺すぶられる状況とではこれだけ違うのです。無事を祈るしかない状況、無事のわかった時のあの湧きあがる安堵感。

こうやって私も一つ、親が、先輩方が踏んで来られた階段を上がることができました。歳をとらないとわからないことは必ずあるのです。

この階段も悪くないことと思っています。

2011.8.1   弘田直樹

5月ですね。

大震災大津波で止まった時間でしたが、しかし大自然はその瞬間から何ごともなかったかのように永遠の繰り返しに戻ります。

日は暮れまた昇る。潮は満ち引きまた満ちてきます。
人の怒りや悲しみを置き去りにするかのごとく、
知らん顔して日々の繰り返しに戻って行きます。

惨劇に追い打ちをかけるような寒さ、冷たい雨、そして雪。その一方で嘘のような美しい夕焼け。一万人を超える人々を引きこみ底に沈めたままの穏やかな海。人知の届かぬことを畏れよ。天罰であれ天の啓示であれ表現はいかようであっても、人が生きている環境を自由にできる支配できるという驕り過信が叩き潰されたこの事実を謙虚に受け止める時なのでありましょう。

そしてこれは、根拠のない迷信の類と笑い飛ばされてきた“まじない祈祷にすがってきた大昔”となんら変わらぬことであることに心を致さねばならぬと思います。科学の進歩、それは技術の進歩、利便性・効率の追求でしたが、大自然への畏れ、神への畏れを捨て去ることでもありました。

根拠のない、は、現在の人間の持つ道具では解明できないという意味でありました。嘘でも空想事でもなく、単にわからないことを科学的根拠がないとごまかしていただけでした。わからないことをわからないと言わなかっただけでした。そうであることを自然が教えてくれました。

それを昔の人は神が教えてくれると表現したのでした。

神がいるかいないかの話ではありません。一神教か多神教かの話ではありません。この世の中は未だ人知の届かないことだらけであるという事実なのです。

私達は驕りから覚めねばなりません。自然を、神を、わからぬことを畏れねばならぬのです。強くそう思っています。

2011.5.1     弘田直樹

4月のご挨拶です!

寒い三月でした。東北関東大震災の凄惨さは今更私が言を重ねる必要もなく、被災地に降る雪の光景は、現地の状況を思い遣るにはあまりに過酷苛烈でした。だだっ広い体育館の冬の寒さは温暖の当地においてさえ肩をすぼめるほどのものです、電気も灯油も飲みものもないそんな空間に肩寄せ合う(といえば表現が偏り過ぎですか、それは各人の緊張を何倍にも増幅する空間でもあります)厳しさは如何ばかりでありましょうや。命が助かっただけ有難いと人々は口にしますが、自分だけが生き残る意味があったのかと時間の経過とともに絶望の淵に追いやられる方も少なくはないのでしょう。この気持ちばかりはその場に居合わせなければわからぬことでありましょう。安全地帯にいる者は言葉を慎め。翻ればこういう咎めに変化します。こう言うしかないとはいえ、頑張れの連呼は徐々に非被災者群の気持ちを遠ざけ、正論の前に鼻白む者たちを増やしましょう。自粛の強制(いいえ、誰も強制などはしていませんが)はTV放映の画一化に象徴されるように、全国を萎縮させます。歌舞音曲にとどまらず、式典、講演の類も次々になぎ倒します。被災者の気持ちを考えろ。日本人の特性と賞賛される思いやりなり仲間意識なりではあるのでしょうが、それは常に安易なセンチメンタリズムと右倣えで可とする偽善と裏表です。自分達があれこれ遠慮して周りの目を気にすることが誰の為になっているのか。誰を慰めると言うのか。道を歩けば義捐金を募る場面に何度も出くわします、何度応えればいいですか。額の問題じゃない!ですか。ボランティアで当地に赴くでなく、具体的に避難所を提供するわけでもなく、TVで千年に一度と煽る画面に絶句し、ただただ驚き同情するだけの(せめて義捐金を、としかできない)大多数の国民にどういう役割が与えられていますか。黙しているしかないのです。大多数の国民は黙してうつむいてそこに立っているだけです。専門家たちの知識の披歴がいかに非現実的な数字の羅列であるかが露わになるのですが、それも黙って聞くのみです。学問の御都合性と学者達のバカの壁の高さとがこういう機会に露見しますが、国民はsilent majorityの役割を通すばかりです。先頭に立って旗を振る人々を冷めて見るばかりです。そういう私に気づきます。こうやって物言わず重しになっている大多数があればこその社会。底力はここに存することにも気づきます。

寒い三月でした。当地にもいつものように暖かい春が来ます。彼の地にも、城春にして草木深しの趣が届けられましょうか。

2011.4.1 弘田直樹

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