個人ごとで恐縮ですが、先月末に長男が結婚しました。先年11月には長女が嫁ぎました。今月中には初孫が生まれる予定です。バタバタと歳を重ねる感じでいます。末っ子(次女)が年女(24歳)です、「感じる」ではなくて十分に年は重ねているのですが、行事の力というか人生の節目の儀式は「自分」に気づかせてくれるものなのでしょう。年若い時分に感じていた50歳像と今の自分とはまるで違うつもりでいるわけですが、事実55歳になってる自分です。嗚呼。とはいえ、そんなに凹んでいるわけではありません、幸いまだ具体的な「落ち」を感じませんから。でも、遠い先でなくきっと、ああ?となるんでしょうね。先輩の皆さんが通って行った道を歩いていくのみですから。その覚悟はできているつもりです。が、先の儀式の話ですが、人生長くなるとこうやって周りから固められていくんですね。私も両親を年寄り扱いして、これは明らかに「排除」目的であったのですが、そういう時の二人の反応を何度か見ていて気づいたことでした。ああ、彼らは自分の事を年寄りと思ってないんだと。年寄りを年寄りにするのは本人ではなくて周りの若い奴らなのだと。つまりそれが排除ということなんですが、本人は若い時と感覚的に何も変わってないわけですから、今迄通りにふるまって行動して当然なんですね。そう、今の私のように。そこにも気づくわけです、おお!笑ってる場合じゃないかな?私は昔から歳をとることが楽しみな変な奴で、今もそうなのですが、60歳になったらどうなってるのかとワクワクしてます。父親が70代の初めに亡くなりましたから、そこまで。そこまでの逆算。歳とることは全く嫌じゃないのですが、そういう思いで振り返ってみると、ああ、こういう時々に両親はこういう思いで俺達の事を見ていたんだろうなとふと思い遣ったりして、しみじみと繰り返しの宿命を感じるわけです。人生の順番はやがて必ず自分にも回ってくる。そういうことに気づくわけです。
今年の夏も暑くなりそうです。どうぞ皆様、お体を愛われますように。