文字通りの春の嵐、コートを慌てて引っ張り出しての春の訪れでした。桜が焦らされてると表現した新聞がありました、妙なり。自然の妙、造形の妙です。私たちは自然に翻弄されながらそれを愛でてきたのです。抗えない大なるものは楽しむばかりと諦めてきたのでした。そこにこそ日本文化が生まれる素地があったのでした。
ビートルズのリマスター版のCDが発売されて半年です、すぐにどの音楽雑誌も採り上げての大騒ぎ、3万いくらするあのボックスが何百万セット売れたとか売れなかったとか。解散して40年経つバンドですよ。それ思うとローリングストーンズの別の凄さが際立ちますが、半世紀前の音楽がいまだにあれこれ研究されて批評の対象になっていることの凄さですよね。私は本屋に行ってビートルズの文字が載ってる雑誌は大概買い込むカモなんですが、いまだにへぇ?がありますからね。へぇ?を掘り出す者がいる、それを載せる雑誌がある、それをへぇ?と思う読者(カモ)がいるという極めて閉鎖的な世界ではあるのでしょうが、とっても居心地がいいのです。ま、好きなこと(もの)ってのはそういうもんなんでしょうけれど何に限らず。今更CDの論評しようというのではありません、いつまでたってもいいモノは残っていくなんて陳腐を並べるのでもありません、技術の進歩はこれまたえらいものなのではありますが、私がこのCD発売されると聞いたときに思ったことは、世の中に出回っているもの、自分の手元にあるような代物は所詮贋物であって、本物はいつも奥深くに眠っているのだという感慨でした。マスターテープがきれいに保存されていたからこそのリマスタリングですから。本物になれるか。そういう敷衍はすこし歩が大き過ぎるのでしょうが、本物は何も言わず静かに眠っているだけ、なんてのもえらく格好いいフレーズに思います。
2010.4.1??????? マージーボックス 弘田直樹