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■ 我が愛しのビートルズ ?その3?

ビートルズが解散したのは1970年。ジョンレノンが凶弾に倒れたのが ‘80.12.8、ジョージハリスンは ‘01.11.29 に病に倒れました。ジョンが死んだ日の、あの虚脱感は今もまざまざと思い出せます。私はその当時はポール派で、ジョンもジョージも興味の外、Wingsを 結成して’76に3枚組のライブアルバム1. を出して絶好調だったポールをばかり追いかけていた頃ではありました(このアルバムにビートルズナンバーが5曲含まれていて、大興奮したのを昨日のように 思い出します)。そんな私までに、何でこんなに気が沈むんだと我が身を訝るばかりの虚脱感をもたらすほど、ジョンは大きい存在であったというわけです。 ポールは’90 ワールドツアーを敢行、ビートルズナンバーをふんだんにステージに載せていきます2.。その後、エリッククラプトンで有名になった「アンプラグド・ギグ」 のCD3. を出し、次々にビデオを発売し、さらにライブ盤CD4.を重ねて出します。彼は十分に商売上手なのです、また私みたいなカモが世界にはワンサといるわけで す、トホホだけれども仕方がないのです。どのCDもどのビデオもビートルズナンバー満載です。ですからどれもこれも大満足なのです。ジョージも日本に来て (エリッククラプトンを連れて)ライブ盤を出しました5.。このコンサートを私は広島で見ました(’91.2.6)。仕事で遅れていったのですが(立ち見 席で一万円でした)、入った途端に If I needed someone のあのイントロが流れて、腰が抜けそうでした。息が止まっていたと、思います。While my guitar gently weeps のソロパートをクラプトン本人が、レコード通りに弾くのですよ、アドリブじゃなく、目の前で!。総毛立つ思いでした。どうか想像してみてください、この大 大興奮の有様を。あの時は幸せでした。ジョンは当然ながら何もできないわけですが、私は気づきました。ポールがビートルズナンバーを唄えば唄うほど、 Yesterday やLet it be やHey Jude で喝采を浴びれば浴びるほど、イギリスでブレイクし、アメリカをひっくり返し、ビートルズが世界の頂点に駆け上がっていくあの頃の曲々は全てジョンの曲 だったということを明らかにしていることに。ポールもジョージも、ビートルズナンバーは自分の曲しか唄いません。ここは彼らのプライドなんでしょう。特に ポールは、正式には全て「レノン・マッカートニー」でクレジットされているのですから、何を唄ってもいいように思いますが、いいえ彼は Please please me もFrom me to you もShe loves youも I want to hold your hand もA Hard day’s nightもHelp もI feel fine もDay tripperも唄いません。全てジョンの曲なのです。改めてすごいことと思います。ポールが自分のBigHits を自慢すればするほど、ジョンの大きさを浮きだたせる皮肉というか、うまい仕組みというか。もちろん二人ともがとんでもない化け物であるということなので はありますが。ちなみに当時のBig Hitでポールの曲は Can’t buy me loveだけで、ありましょう。

ウウム、Great!!

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