2011年6月 のアーカイブ

6月のご挨拶です。

2011年6月1日 水曜日

大震災のあとは季節外れの台風でした。
当地地元の漁師さんの話ですが、潮の満ち引きの具合が今までと変わって来たと聞きます。具体的な数字ではないけれど、見慣れた人にしかわからない見慣れた景色の変化は看過すべきことではないと思いますね。

この夏はどんなことになるんでしょうか。
亜熱帯化がさらに進むのか、冷夏に過ぎるのか。去年は台風が少なかったですから今年は多いのでしょうか。迷信、言い伝えの中には、現代の知識では一笑に付すべきものも多いのですが、少なくともそれと同じだけの数の真実、現代の知識で解明説明できない予言予想が存在します。

私たちは得てして迷信をバカにします。

この字面からも嘘、間違いというニュアンスが付加されていますから、その先入観はしかたないことですが、さらに敷衍されて、昔の時代、その時代の人々をも小馬鹿にする傾向があります。祖父祖母の昔話を嗤う、あれです。明治大正時代の「不便さ」をまるで未開人の生活のように嗤う、あれです。電気がなかっただけ、TVがなかっただけ、コンピューターがなかっただけ、携帯電話がなかっただけなのです。

どんな時代においても人の暮らしは同じだったのです、

世の中の出来事に対する処し方考え方は同じだったのです。否、現代よりも不明なこと不便なことが多かった分だけ、自然への依存が大きかった分だけ、工夫と諦観は人を「考えさせてきた」のだと思います。平安時代であれ奈良時代であれ、です。現代の便利さで昔の不便さを嗤うには当たりません。その不便さ(不便でも何でもありません、それしかない時代にそれがあれば十分なのですから)をその時代の人々の優越に繋いではなりません。優れた人もそうでない人も、どの時代においても、現代と同じ比率で同じように生きていたのですから。ですから、言い伝えには長年伝えられてきたという重みと意義があります。どういう意味があるのか、それを考え感じるのが、伝えられてそれを受ける側の時代の、その時代に生きる人間の務めなのです。学者や科学者(を任ずる連中)には農民漁師山守猟師らの経験や言い伝えを容れる度量がありません。そこに真実を嗅ごうともしません。ひとえに数字にできないからです、公式化できないからです、科学ではないという理由です。そういう才能が自らにないだけなのに、冷笑して抹殺します。おそらく多くの自然相手に生活している人々が感じている異変。学者のまとめではなくて(学者の色のつかない)、宮本常一のような人が聞き書きしたものを読みたい聴きたいと思うことです。

今後、どうなるんですか?