寒い三月でした。東北関東大震災の凄惨さは今更私が言を重ねる必要もなく、被災地に降る雪の光景は、現地の状況を思い遣るにはあまりに過酷苛烈でした。だだっ広い体育館の冬の寒さは温暖の当地においてさえ肩をすぼめるほどのものです、電気も灯油も飲みものもないそんな空間に肩寄せ合う(といえば表現が偏り過ぎですか、それは各人の緊張を何倍にも増幅する空間でもあります)厳しさは如何ばかりでありましょうや。命が助かっただけ有難いと人々は口にしますが、自分だけが生き残る意味があったのかと時間の経過とともに絶望の淵に追いやられる方も少なくはないのでしょう。この気持ちばかりはその場に居合わせなければわからぬことでありましょう。安全地帯にいる者は言葉を慎め。翻ればこういう咎めに変化します。こう言うしかないとはいえ、頑張れの連呼は徐々に非被災者群の気持ちを遠ざけ、正論の前に鼻白む者たちを増やしましょう。自粛の強制(いいえ、誰も強制などはしていませんが)はTV放映の画一化に象徴されるように、全国を萎縮させます。歌舞音曲にとどまらず、式典、講演の類も次々になぎ倒します。被災者の気持ちを考えろ。日本人の特性と賞賛される思いやりなり仲間意識なりではあるのでしょうが、それは常に安易なセンチメンタリズムと右倣えで可とする偽善と裏表です。自分達があれこれ遠慮して周りの目を気にすることが誰の為になっているのか。誰を慰めると言うのか。道を歩けば義捐金を募る場面に何度も出くわします、何度応えればいいですか。額の問題じゃない!ですか。ボランティアで当地に赴くでなく、具体的に避難所を提供するわけでもなく、TVで千年に一度と煽る画面に絶句し、ただただ驚き同情するだけの(せめて義捐金を、としかできない)大多数の国民にどういう役割が与えられていますか。黙しているしかないのです。大多数の国民は黙してうつむいてそこに立っているだけです。専門家たちの知識の披歴がいかに非現実的な数字の羅列であるかが露わになるのですが、それも黙って聞くのみです。学問の御都合性と学者達のバカの壁の高さとがこういう機会に露見しますが、国民はsilent majorityの役割を通すばかりです。先頭に立って旗を振る人々を冷めて見るばかりです。そういう私に気づきます。こうやって物言わず重しになっている大多数があればこその社会。底力はここに存することにも気づきます。
寒い三月でした。当地にもいつものように暖かい春が来ます。彼の地にも、城春にして草木深しの趣が届けられましょうか。
2011.4.1 弘田直樹