7月のごあいさつ

 

一年の後半です。と言われてもピンとこないですが、年々歳々時の過ぎる速さが増していく実感の中、真夏を迎えてのターンです。今年の梅雨は字義通り雨の日の多いものでした、湿気が強かったと言うべきか。当地は大雨は免れましたが、雨の季節に相当分の天の恵みはもたらされたはずです。もう解消されて長くなりますが、私が児童学生時分は当地柳井は毎夏必ず水不足になり給水制限が敷かれたものです。懐かしく思い出します。先ず給食が止まります。小学校に弁当持ちです。プール授業が中止されます。学校はじめ公的機関から搾ります。それでもまだ降らなければ夜間の給水制限です。夜9時から朝6時までとかの断水です。親が風呂に水貯めたり、あれこれ工夫してたのを思い出します。当時にコンビニなんてないし、今のように水やお茶を売ってないですからねペットボトルで。あるのは瓶詰缶入りのコーラやジュース(ファンタ、ミリンダ、キリンレモン、三ツ矢サイダーの類)だけ、これでは顔洗えないし。でもさすがに給水車騒ぎの記憶はありません。何やかやで昼間は水出てましたね。海水浴場のシャワーは止まったかな(記憶が曖昧ですが)。照りつける夏の太陽を見ながら思い出すことです。幼少時少年期を育った町で歳をとれるのは幸せなことなんでしょうね。

暑い夏です、皆様には体調を整えられますように。今月もよろしくお付き合いください。

2018.7.1    弘田直樹

6月のごあいさつ

梅雨時は梅雨らしく雨の降るがよろし。

雨好きの私には、少し肌寒い日の、軒を叩く音の聞こえるほどの雨が一日中降り続けるという場面が好ましい。朝には朝の、昼には昼の趣。雨を見るのが好きですね。同じリズムで降り続ける雨、屋根を叩く雨、縁側に撥ねる雨粒、樋を伝って吐き出されるしぶき。それらを見る。飽かず見ている。映画よろしく雨に唄うのではもちろんなく。TVも部屋の明かりも消して窓を開ける。湿気を含んだ冷たい空気が流れ込む。雨音に、雨の匂いに包まれる。耳を澄ませばいろんな音がする、あちこちを叩く音が皆違うのです、屋根を、葉を、縁側を、最後に地を。そしてそこを洗ってきた匂いも運んで来てくれる。しんとした静寂。雨音だけの静寂。蝉の声に閑けさを感ずるに通底しますか。夜の雨も興をそそります。いえ、見えません、見ようともしません、音だけです。だからまたいい。特に夜中に雨音に目覚める感じがいいです。つまりこの時は強い雨。家中が雨に包まれている感覚。それは強い雨風を凌いで安楽に寝間にいるという安心感や幸福感につながって、寝入るのが惜しい気分のうちにまた眠りに落ちる。当地は何年か前に大雨被害あり、あの時の気味の悪い大雨も忘れません。ですからもちろん強い雨とはいえ程度問題です。気味悪さが湧くほどでは興も何もないわけです。雨が好きだ、なんてオヤジが言うてもキモイとか根暗のオタクか?とか訝られるのがオチです。だからこんなことめったに話しはしませんが、雨の季節はそれなりに楽しめるのです。雨の中外に出なければならぬ仕事じゃないことが大きく影響しているのでしょうが。

今月もよろしくお付き合いください。

2018.6.1   弘田直樹

4月のごあいさつ

 

今年は寒い冬の末に一気に春がやってきて、桜も慌てて咲き急ぐ風情でした。これを異常気象と捉えて地球温暖化がどうの、北極の氷の溶けたのがいけないの、二酸化炭素濃度がどうのと騒ぐ向きには言わせておいて、季節の移ろいを愛でる側に回りましょう。春爛漫のローマンスです。新年度、新学期という変化に晒されない暮らしを長く過ごしています。ので異動は常に他人事です、新聞に載る公務員の人事異動を眺めながら、すまじきものは宮仕えなどと嘯いてます。もっとも若い頃には転勤の身でした、環境に慣れるまでの緊張感や肚の据わらぬ腰かけ感などは懐かしく思い出すことはできます。もういやですね。もっともやらなくてもいいから嫌がってればいいわけで、公務員でこんなこと言う者はいないんでしょうが。定年過ぎて第二の人生始めてる同輩が多いです、そうじゃない身を幸せに思うか否かはさて措いて、環境の変化ってのは高齢の脳には厳しいのです。だから今迄の職場に残るものも多く、大幅な減給をキャリアを生かすとか資源(人材)保全とかの美辞にごまかされても、こちらとしても収入ゼロじゃぁ困るわけで、そこのところきちりと需給の均衡はとれていて。もちろん敢えて見も知らぬ分野に飛び込む猛者もいるわけです、貴乃花バリに文字通りの一兵卒のペーペーから。人生いろいろ、悲喜こもごも。還暦の次は古稀。そこに力強く向かえばいいと頭の中ではわかっていますのですが・・。

今月もよろしくお付き合いください。

2018.4.1?? 弘田直樹

3月のごあいさつ

先月は寒い日が続きました。温暖の当地でも零下5℃なんて日がありました。朝の冷気が違いました体感しました。が、雪が降らぬ、道路が水道管が凍らぬは有難いことであります。そして月末からはグッと暖かくなって、朝と日中の寒暖差が12度も13度もあり春近しを強く思わせました。春は名のみの風の寒さよとはよく言ったもので、その季節を過ぎれば本格的な春の到来です。やはり暖かいと気分が違いますね。こんなこと今まで思っことあったかいなと訝しんでる自分がいます。若い時から寒いのが苦手で、暑いのは少々平気だった(そのお陰で女房や子たちは毎夏かなりの不利益を被ったのでしたが)のですが、まず暑いのがダメになり、続いて寒さへの感度も弥増してで、冬の終わりに春を恋うる気持ちが年々強くなります。年齢を感じることです。その年齢にならねば分からぬことばかりであることは、それこそその年齢に達するまでは気づきません。人の親になった時、孫の顔を見た時、そして親が亡くなった時。年寄りと呼ばれる年齢に達して、その時々の親世代の気持ちを初めて知るわけです。やがて行く道と頭では理解していてもいざその場所に立つと初めての感慨(驚き)があるわけです。子を育て、親を送り、そして消えていく。とうとうその順番になってしまいました。あと10年。そう思う気持ちが強くなっています。今月もよろしくお付き合いください。

2018.3.1 弘田直樹

2月のごあいさつ

先月下旬の大寒波は各地に被害をもたらしました。温暖の当地は雪花が舞う日がありましたが、確かに朝晩冷えましたが、そこまででした。山口県のうちでも暖かいのは下関と東部、東部の中でも当地柳井と隣の周防大島。下関は対馬海流のせいかなあとぼんやり思いますが、こちら大島は北側(本州側)と南側(四国側)とでは温度が違います、だからこっちも海のせい、海水温度の影響。一般的に海辺は暖かいです。でもこれは黒潮沿岸の話なのでしょうか。寒流沿岸は寒いのでしょうか。何をブツブツ言うてるんだ?ですが、昨今の異常気象はエルニーニョだの何のと海水温度の上下動で説明しますね、それはひいては大気中の二酸化炭素量の影響だと言う理屈。地球温暖化理論です。アメリカのゴアさんが不都合な真実とのキャッチーな題で世界中の耳目を引いた概念でしたが、彼らがあげる理由の多くは根拠が薄いとの反論は根強くあります。でも、そんな大きな話じゃなくて、とてもローカルな比較では海辺は暖かいのです。気温に与える海(海水温度)の大きな影響を実感します。海辺の温暖の地。住民はそう思ってます。

陰暦(旧暦)では今月16日が正月元日です。日本の春はここから始まります。晩冬から初春へ。季節の実感と合うのは旧暦の方なのですが、それも当然です、長く旧暦で文化を作り上げてきたのを明治の文明開化で一気に西洋風に変換しただけですから。と、暦の本を見ながらにやにやしてます。春は名のみの風の寒さよ、の季節を楽しみましょう。

2018.2.1 弘田直樹

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