7月のごあいさつ

梅雨入り宣言の出た途端に雨が降らなくなるのは今まで何度も経験のあることです。空梅雨かどうかはあくまで結果論です、何日降らなくても大雨が来れば降雨量の帳尻だけは合うわけですからね。最近は降れば土砂降りという笑えぬ傾向がありますからええ加減に降ってくれ!と単純に雨乞いもできかねる所、当地柳井は昔から夏は干上がります。雨が少ない。近隣の岩国、下松に大雨が降ってもここに降らない。当時から不思議に思ってたことですが、これは今も同じです。具体的には私の幼少中高時代は毎夏に給水制限してました。夜に水道水が出なくなるのです。小中校の給食も中断です、この時期だけ弁当持参です。母親連中は仕事が増えて大変だったでしょうが、私達は楽しかったです。めいめいの弁当の中身がそれぞれ違って、面白かったのを覚えてます。ひとえに水ガメが小さかったことと降雨量が少ないことが原因なのでしたが、現在は遠く岩国の山奥から水を引いて(分けてもらって)夏の渇水はなくなりました。受益者負担で水道料は高くなりましたが。そんな柳井も何年か前に大雨が降って市中が冠水、膝上まで浸水したことがあります。あの記憶は消えませんね、あの時の尋常ならざる雨音雨足だけじゃない、空いっぱいに亘る異様さです、気味の悪さ。ゲリラ豪雨との言葉がすでにあったかどうかは覚えませんが、あの頃から全国に「降れば土砂降り」傾向の生じたのでした。降るべき時に適度に降って暑い夏がやってくる。そう願いたい所ではあります。暑い夏。昔は暑い夏が大好きでしたが、年をとるに従ってああそんなこともあったねの昔話に変わっていきます。私が子らを海に連れまわしたように、その子らが我が子を連れていきます。私の役目は終わっています。夏を好きでいなくてもよくなりました。そういう納得です。

皆様におかれましては暑さに負けずご自愛いただきますよう。今月もよろしくお願いいたします。

2017.7.1        弘田直樹

5月挨拶

 大地震はどこで起こっても困ることなのですが、東京を襲うであろう直下型地震、広範な太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらすとされる南海トラフ地震がその象徴として挙げられていますから、それ以外の地区はいわばノーマークです。今次の熊本地震もええ?の典型でしたか。誰も何の警戒もしてない所へ果たして来る。すると必ず「それ見たことか」という者が出て来る。「だから言ったじゃないか」とするりと向こう側に回って批難する者が出て来る。責める相手は行政ですから一方的です、決して仕返しされませんから言いたい放題です。熊本は地震のない地域ではない、300年400年前にはこういう記録があると引っ張り出してどうだ?!とデータを揃えて「科学的に」批判する。何の役に立ちましょうや、事が起こってからあれこれ遡って言いたてても。地震は活断層型とプレート型に大きく分けられるようで、阪神淡路や山古志村が前者、東北大津波が後者。東京に来るのが前者、南海トラフは後者。活断層は日本中に存在するのだと今更のように、原発再稼働反対運動の最大の根拠にされているのはご存知の通りですが、専門家が地図を指し示します。山口県にも大きなのが3本あって、その一つはJR岩徳線に沿って存在して、ここが揺れたら当地柳井も大被害でしょう。どうか歪みが溜まっていませんようにと、学者の口吻を真似ることです。でも所詮はそこに住んでいることの因果応報です、そこで生きているから被る災害。分類区分けは学者の学問上の便宜でしかないのです、地震が起こればどれも同じ結果ですから。あの東北大地震大津波の後にそこに住む人が言ってました、海から今迄あれだけの恵みを受けてきたのだ、こういうことも辛抱せねばならぬことだと。この言葉に極まると思うのです。恩恵も災禍もその地に生きていればこその必然です。深い諦観。周りがガチャガチャ騒ぎ立てる(安全地帯にいて同情するふりをしながら被害の大きさを映画のように楽しんでいるのですから)ことではないのです。被災者を見世物にしていることにも気づいていないふりですから。ここにも偽善と欺瞞の満ち充ちていることです。

2016.5.1  弘田直樹

4月のごあいさつ

新年度。日本の昔からの慣習でしかないことなのですが、幼少時から身に沁みたこの季節感はやはりいいものです。桜の季節に新生活。New face 達の緊張がほほえましいし、彼らを迎える側もやはり気分は一新されるというものです。同級の連中はいよいよ定年前の最後の一年になります。公務員などの定年のある職の宿命とはいえ、もちろん頭ではやがて自分の番が来ることはわかってたこととはいえ、目前に迫りきたる思いや如何に。幸い(なのかどうかはわかりませんが)にも私は定年のない職に就いていますので、自ら企てぬ限り新局面は現出しないのですが、人生を考える、振り返るだけの積み重ねが一応残って来た年齢に達して、今後の事に思いをはせる機会は確かに増えました。人生の岐路とよく言いますが、これはあくまで後から振り返ればの評価であって(結果論)その時どきで感じることではないと思っていますが、明らかに昨日と違う毎日が始まる、ページがめくられる時ってのはこれも確かにあって、定年のように予定強制的に訪れるもの、病気事故災害などで突然陥る不測の事態、一念発起による自発的転機。成功した時にもうまく行かなかったときにもその原因として人生に刻まれるわけです。悔いのないようにとはよく聞くフレーズですが、これも言い訳にすぎぬこと、自らの背を押す言葉でしかないわけです、迷うことだらけの人生ですから。悔いのあるなしは結果で判断することであって、ひとえに失敗した時の言いわけを前もって口にしているだけの事ですが、矢沢永吉が車の宣伝で言ってるようにやりたいことやる人生の方がうんと面白いのは正しいでしょう。で、我が身に翻ると・・。ああしたい、こうなったらいいなとあれこれ考えはしてきましたが、あれこれ選択している時間がなくなったことにも気づくわけです。ああ、もうそんなに時間が残ってないぞと気づくわけです。急げ。なのでしょう。背を伸ばして。です。

今月もよろしくお付き合いください。

2016.4.1??     ? 弘田直樹

イベント中止のお知らせ

ご案内しておりました8月9日の柳井市レトロスクエアでのイベント、台風接近が予想されることから中止となりました。久々の夏の出番で張り切っておりましたが、残念です。

よろしくご了解ください。

平成26年8月7日  弘田直樹

7月のご挨拶です。

夏です。当地柳井は海辺の町です。だからどうこうと無理矢理に繋ぐつもりは全くないのですが、幼少時から夏は海です(でした、さすがに歳とってからは行きません)。小学校時分に学校にプールができて、夏休みに地区別に振り分けられて二時間だか三時間だか開放されてたこと思い出します。あれはあれで手軽で楽しかったですが、やはり海でした。海辺に住んでいたのではないので、裏の垣の向こうが海だとかの環境ではなく、海に行くには自転車こいで30分くらいかかったのでしたが、それもまた楽しで。中学生時分は運動部にいました、当時の常識は今の非常識なのです、練習中は水なんて飲ませてもらえません、約4?5時間の練習で水が飲めるのは一度の休憩15分の間だけです。でもそれで熱中症(という概念が当時あったのかどうか)で倒れた奴なんていませんでしたがね。夏休みも水泳は禁止です、他の筋肉を使うなとか冷やすなとか色々理由を言われましたが、夏の大会が終わるまで盆近くなるまでは泳いではいけませんでした(体育の授業はOKでしたね何故か)。で、解禁されて部員同士で海に行くんですが、他の連中は真っ黒に灼けてるのに俺達だけが真っ白けで恥ずかしかったもんです。当地の海水浴場は(黒島)綺麗な白砂の浜で、しかも遠浅。潮干狩りができる所でした。遠浅ですから藻もすごくて、潮が引いている時はとても泳げないことでした。ちゃんとした脱衣場がなくて、男どもはそのあたりの陰でパパっと着替えたもんです。強い陽射し、真っ白い砂、濃い青の海。海は東に広がり西側は山を背にしてましたから夕方が早いんです。すぐに影になる。遠くの海はまだ白く光ってるのに、座っている砂浜には夕暮れが迫っている。盆過ぎたら海坊主が出て足を引っ張られるから海には行くな。そう言われたもんですが、盆過ぎてからの方が景色は風情がありましたね。夕陽が茜色に染まる、あの季節感です。子供が小さい頃は、こいつらが行かないと泣きだすくらい連日海に出かけてました毎夏。体は真っ黒、お陰で今は背中一面シミだらけの汚いことになってます。癌化すれば自業自得もいいところです。でも海は好きでした。その夏が今年もやってきました。今は思い出すだけの海の夏です。

2012.7.1? 弘田直樹

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