• マージーボックス

8月のご挨拶です!

先月の末に長女が出産しました。

6月の末に兄貴の結婚式を機に出産のための里帰りをしていたところ、予定日を丁度一週間過ぎて無事出産しました。端から私には何の役も与えられてはいませんし、それは役に立たぬことの確たる自他共通認識によるもので、私はあわわあわわと慌てていればよかったわけですが、それにしても心配は心配で。

赤ん坊より母体、長女の安全を心配するのです。

これは不思議にくっきり気持ちの差がありました。長女にどうか無事に生んでもらいたい。赤ん坊に無事に産まれて来いはその結果として付いてくることと思ってました。もちろんどちらが欠けても好ましくないのですが、不幸にも医者ですから、出産をめぐるトラブル多く見聞きしています。何とか母体を、母体を安全に、と祈ることでした。祈るしかできないというのはまさにこの環境です。この時ほど男と女の差が剥きだされることは他にないでしょうが、女はすごいと、我が娘に教えられる思いでした。いえ、私には子が三人います。我が子の誕生の際にもそう感じていたはずなのですが、実は私は碌な亭主でなく、三人とも一度も出産前に女房の背中の一つも擦ってやったことがないのです。長女の夫がこれがまたやさしい男で、陣痛の間中傍で声をかけ痛がるところを擦ってやっていたとの報告を女房から受けるにつけ、女房の強い非難を痛いほど感じながら、私の若い頃の身勝手さ、自分勝手さが嫌でも照らし出されて、女房はこの道を三度もくぐって来たのかと今更のように感動することでした。

それを今、長女が果たそうとしている。

生まれたと携帯が鳴った時には涙があふれて言葉になりませんでした。くどいですが孫の誕生にではなく、娘の無事にでした。ああ、女房がお産の時には義父はきっとこの思いでいたんだろうなと、妹の時には父親が、そういう思いもよぎりました。その歳になったらその役を全うするだけ。人生はそういう繰り返しだと見切っているつもりなのですが、いいえ、頭の中の理解と実際に心揺すぶられる状況とではこれだけ違うのです。無事を祈るしかない状況、無事のわかった時のあの湧きあがる安堵感。

こうやって私も一つ、親が、先輩方が踏んで来られた階段を上がることができました。歳をとらないとわからないことは必ずあるのです。

この階段も悪くないことと思っています。

2011.8.1   弘田直樹

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