3月のごあいさつ

9月入学への移行が本気で考えられているようですが(高校では三学期制ではなく、9月か10月で区切る二学期制が普通になってます。もう子育て終わられた方々にはへぇ?モノでしょう?)、3月春は名のみの冷たい風の中の卒業式、4月桜の季節の入学、新学期ってのは捨てがたい気がします。

もっともそれが慣習だったから、それ以外に選択肢がなかったからにしかすぎぬ感想なのではありましょうし、9月入学が5年もすればそれが当たり前になるわけです。人は自分の記憶の中にしか過去はないのです、自分が経験してきたことしか振り返れないのです。そして記憶は都合のいいように取捨選択されていきます、都合のいい事を都合のいいように覚えているだけです、客観性など欠片もありません。3月卒業、4月入学が気分よねぇ。ただそう思うだけの事、自分がそうだっただけのことですが、まるで特別の意味や恩恵があったような言い方をしています。きっと大して感じもしていなかったはずなのに、妙に懐かしく思い出したりして、あることないこと勝手に付け足して。

歳をとるとこういうことがわかってきます。今この時を生きるしかないのだ。それが連綿と繋がって人生が出来上がる。人の一生は誰かが生きてきたように(いちばん身近には両親が生きてきたように)生きるばかり、繰り返すばかりなのだ。結婚し子を為し子が巣立ち老いていく、それはそのまま我が親が、祖父母が過ごしてきた道であり、役割が移り変わって行くだけの事なのだ、と。昔を思う(比較する)ことと先を思うことと、それはどちらを多くするかという積極的な選択ではなく、どちらが消えていくかという相対的非選択的な強要でもあるのでしょうが、丁度その中間点の年齢にいて、体や頭は常に前を向いて、時に少しは振り返る、そういう毎日にしていきたいと、年度終わりに、卒業の季節に思うことでした。

皆さまにはお健やかにお過ごしください。

2012.3.1??    弘田直樹

© Mersey Box. 2017 All rights reserved.