ステレオフォニックスのこと

私達の結成当時からの仲間であるステレオフォニックスの紹介ページ楽しんでいただけていましょうか。彼らはオリジナル曲を演奏する爆音ハードロックバンド で、自らのプロフィールにも書いていますが、FM山口主催のコンテストで入賞したこともある実力派です。今回載せましたように、もう3枚目ですが、きちん とした音源をCDに残してきているバンドでもあります。ミュージシャン気質溢れる連中で、結構(十分に)エエカゲンな奴らですが、こういうところ几帳面と いうか拘っているというか、プレイヤーとしても相当の腕であることがわかりましょう。それぞれ若いとは言えない年齢になってはいますが、こういう大音量 ジャンルの曲で、しかもオリジナルを演り続けるのは相当にエネルギーの要ることだろうと思うのですが、連中に言わせるとこれしかできないと開き直るばかり の平気のへいちゃん、こちらもまた懲りずに聞いた後の耳鳴りを覚悟して爆音に晒されているというわけです(なーに、慣れてしまえばこっちも平気平気!)。
こ のバンドを何度も生で聞いてきた人が、この音源を聞いてびっくりしていました。何をびっくりしたかというと、ギターが聞こえる、声がはっきり聞こえるとい うのです。生でお聞きになったことのある方々にはわかっていただけると思うのですが、このバンド本当に爆音なのです。私も何十回と聞いてきましたが、一度 としてオイチのリードギターのフレーズが満足に耳に届いたことがありませんし、シンジの唄う歌詞を聴き取れたことがありません。爆音の原因ですか?炸裂ド ラムです。マツモトのドラミングはパワフルを遙かに超え、聞いている人の耳を独占します。何度も忠告もし、頼むからお前らの曲を人に聴かそうと思って演っ てくれと何度も嘆願しましたが、全くダメでした。そういうバンドなのだそうです、リーダーのオイチが涙目で笑っていました。何を隠そうこの私とてびっくり している一人なのです。ああ、こういうフレーズだったのか、なんてね。ステレオフォニックスをどうぞよろしく哀愁。
2006.4.15
Mersey Box 弘田 直樹

■ 我が愛しのビートルズ ?その5?

当時のビートルズのコンサート映像を見て驚くことは、何と言ってもビートルズマニアの熱狂ぶり、耳も天をもつんざく悲鳴、嬌声、大歓声ですが、今までこの 欄で何度も触れていますように、当時のステージ環境にも同じくらいびっくりします。ビートルズほどのトップバンドですから、当時の最高の機材が使用されて いるに違いないのです。にもかかわらず、今と比べれば文字通り隔世の感、私達のような田舎のバンドでももっと使うよ、という差なのです。それがどうしたの よ、40年前と今とを比べる方が無理があるでしょうに、という声が聞こえてきそうですが、確かにそう言われれば身も蓋もないことなのですが、しかしこれは 結構意味深いことなのです。 端的に言えば、彼らは自分たちの声やギターの音が十分に聞こえない状態で、あれだけの演奏をしていたのでは?という推測なのです。 今のコンサートでは自分の出している音や他の人の声や楽器の音を聞きながら演奏するような環境が整っています、ヘッドフォンしたりイヤホン付けて演奏して いる場面をよく見るでしょう。そして、プレイヤーの足下に、プレイヤーに向けて置いてあるスピーカー。あれも自分たちの音を聞くためのものです、モニター スピーカーといいますが、そういう環境が全く備わっていないのです。電源入れてないオルガンを弾いている場面を想像してもらえればいいです。恐ろしいで しょう?でも、音は出ているのですよ、すごいボリュームで。だから会場にマイクを立てればちゃんと鳴っているのです、海賊版や公式盤で聞くように。ただ周 りの騒音のせいで本人達にうまく届かなかったのではないかと思われるわけです。びっくりするのが、’64.2 のワシントン公演のシーンです 1.。ステージの四方から観客が見ているという環境(大相撲の土俵の如く)で、彼らは何曲か唄うと四辺を巡るのです。ドラムは中央で回り舞台の上に載って 回転するのですが、アンプはそうはいきません、正面を向いたままです。おまけに、マイクも3本しかなく、彼らがそれを持って移動するという始末。ですか ら、四辺を回るうちには、ギターの音が後ろ向きに出ている場面もあるわけです。おまけにモニタースピーカーがない。音は自分に向かずに出ているわ、周りに は耳が割れんばかりの悲鳴や歓声が満ち満ちているわの状況で、彼らはギターを弾き、ハモるのです。 私達が不要のモニターを使用すると、これに似た状況に陥ります(過剰に返りすぎて聞きたい音が聞こえなくなります)。いきがって使うとボロボロになりま す。それがビートルズほどのタフな、足腰の強いバンドにかかると、あの状況であれだけの演奏ができるということなのです。すごいでしょう?それとも、ちゃ んと聞こえていたのでしょうか?そうだったら、ごめんなさい。

1. ザ ビートルズ アンソロジー TOBW-3201~05 (DVD)

■ 我が愛しのビートルズ ?その4?

ビートルズのアメリカ制覇(征服)などとよく表現されます。イギリスでブレイクしたビートルズが瞬く間にアメリカ全土を席巻したことを指します。私は、そ の象徴的な出来事が3つあると思っています。まずTV番組 エド・サリバン ショーに出演して、史上最高(当時)の視聴率を叩き出したこと。この様子は、ビートルズ出演番組を全て収録したDVDで見られます 1.。ほんまもんのビートルズマニアの叫ぶ姿は迫力満点ですし、旧世代を代表するエド・サリバンの、新しい波を歓迎するポーズに困惑と反発とを滲ませつ つ、それでも旧体制の枠内に納めようとする態度や仕草は楽しめますよ。ちなみに、エド・サリバン ショーは当時の有名番組で、日本からはザ・ピーナッツが出演したことがあります。二つ目はヒットチャートの上位5位を独占したこと。’64.3.31のビ ルボードチャートで、1位 Can’t buy me love、2位 Twist and shout 、3位 She loves you、4位 I want to hold your hand(抱きしめたい)、5位 Please please me です。この歴史的事実を見るたびに、ハァ??と溜息がでます。なんたること・・です。She loves you も Please please me もリリース当時は売れなかったのですよ(イギリスではバカ売れでしたが)、それが「抱きしめたい」が大ブレイクした途端、遡って大ヒットという訳です。い かに桁違いのブレイクだったかという証明でもありましょう。そしてビートルズはこの年の7月には初期の大傑作アルバム「A hard day’s night」をリリースし、同名の映画を作成します。まさに昇竜の勢いです。私はこの頃のビートルズに一番ときめきます。三つ目は’65.9.15 のShea Stadium(シェイスタジアム、ニューヨークの野球場)でのコンサートです。この時の模様もDVDで見ることができますが 2.、6万人の観衆の前での演奏です。6万人ですよ、どんな気分なのでしょうか。しかも、映像見る限りでは例によってモニタースピーカーが彼らの前にない のです。果たして、彼らは自分たちの演奏が声が聞こえていたのでしょうか。前から、横から、二階席から、天をつんざく悲鳴や大歓声が降りかかってくるので す。ギターもマイクもフルボリュームで対抗するばかりのこと、それでもリンゴのドラムは揺れず、彼らはきれいにハモるのです。バンドとしての実力も恐るべ しです。それにしても、当時のビートルズマニアのすさまじいこと。シェイスタジアムでのコンサートを皮肉って「6万人の観衆は、悲鳴と金切り声を聞くため にチケット代を支払った」という評、「僕たちを聞きたいならレコードで、見たいならコンサートへ」とのジョンのコメント、ああ、あの頃のこの風に吹かれて みたかったと、私は生まれるのが10年遅かったことを残念に思うのです。

1. エド サリバン presents ザ ビートルズ ( VABS-0010 )

■ 我が愛しのビートルズ ?その3?

ビートルズが解散したのは1970年。ジョンレノンが凶弾に倒れたのが ‘80.12.8、ジョージハリスンは ‘01.11.29 に病に倒れました。ジョンが死んだ日の、あの虚脱感は今もまざまざと思い出せます。私はその当時はポール派で、ジョンもジョージも興味の外、Wingsを 結成して’76に3枚組のライブアルバム1. を出して絶好調だったポールをばかり追いかけていた頃ではありました(このアルバムにビートルズナンバーが5曲含まれていて、大興奮したのを昨日のように 思い出します)。そんな私までに、何でこんなに気が沈むんだと我が身を訝るばかりの虚脱感をもたらすほど、ジョンは大きい存在であったというわけです。 ポールは’90 ワールドツアーを敢行、ビートルズナンバーをふんだんにステージに載せていきます2.。その後、エリッククラプトンで有名になった「アンプラグド・ギグ」 のCD3. を出し、次々にビデオを発売し、さらにライブ盤CD4.を重ねて出します。彼は十分に商売上手なのです、また私みたいなカモが世界にはワンサといるわけで す、トホホだけれども仕方がないのです。どのCDもどのビデオもビートルズナンバー満載です。ですからどれもこれも大満足なのです。ジョージも日本に来て (エリッククラプトンを連れて)ライブ盤を出しました5.。このコンサートを私は広島で見ました(’91.2.6)。仕事で遅れていったのですが(立ち見 席で一万円でした)、入った途端に If I needed someone のあのイントロが流れて、腰が抜けそうでした。息が止まっていたと、思います。While my guitar gently weeps のソロパートをクラプトン本人が、レコード通りに弾くのですよ、アドリブじゃなく、目の前で!。総毛立つ思いでした。どうか想像してみてください、この大 大興奮の有様を。あの時は幸せでした。ジョンは当然ながら何もできないわけですが、私は気づきました。ポールがビートルズナンバーを唄えば唄うほど、 Yesterday やLet it be やHey Jude で喝采を浴びれば浴びるほど、イギリスでブレイクし、アメリカをひっくり返し、ビートルズが世界の頂点に駆け上がっていくあの頃の曲々は全てジョンの曲 だったということを明らかにしていることに。ポールもジョージも、ビートルズナンバーは自分の曲しか唄いません。ここは彼らのプライドなんでしょう。特に ポールは、正式には全て「レノン・マッカートニー」でクレジットされているのですから、何を唄ってもいいように思いますが、いいえ彼は Please please me もFrom me to you もShe loves youも I want to hold your hand もA Hard day’s nightもHelp もI feel fine もDay tripperも唄いません。全てジョンの曲なのです。改めてすごいことと思います。ポールが自分のBigHits を自慢すればするほど、ジョンの大きさを浮きだたせる皮肉というか、うまい仕組みというか。もちろん二人ともがとんでもない化け物であるということなので はありますが。ちなみに当時のBig Hitでポールの曲は Can’t buy me loveだけで、ありましょう。

ウウム、Great!!

■ 我が愛しのビートルズ ?その2?

ビートルズのレコードデビューは1962年10月5日。シングルレコード「Love Me Do / PS.I Love You」でした。2枚目のシングルが「Please please me (’63.1.11)」これで彼らはイギリスで大ブレイクします。元々はロイ・オービソン風の朗々たるテンポの曲だったのを、アップテンポのあの調子に変 えたという裏話を「アンソロジー 1.」でポールやプロデューサーのジョージマーチンが教えてくれています。歴史はこうして作られていくのだ、とドキドキします。後に続くのが「From me to you (’63.4.11)」「She loves you (’63.8.23)」「抱きしめたい (’63.11.29)」と、この順番です。何という強力なラインナップなことでしょうか。こんな曲で押してこられたら、聞く方は参ったするしかありませ んよ。しかもその間に「Please please me」「With the Beatles」と2枚のアルバムも出しています。すごい勢い。これでイギリスがひっくり返りました。彼らはイギリスの音楽シーンをひっくり返したので す。そしてアメリカにも飛び火しました。でもいきなり燃え上がったのではありません。実は Please please meも From me to youもアメリカでは受けなかったのです(ワシントンでのライブ映像1.の中で、ポールが Please please me の演奏の前にそう喋っています。もちろんワーワーキャーキャーで誰も聞いていませんし、MCとしてはスベッているのですが)。当初は大手レーベルが相手に せず、弱小レーベルからリリースするしかなかったという事情もあったのですが、しかしイギリスの様子を見たキャピトルが「抱きしめたい」をリリースした途 端( ’63.12.26)火がつき、そのままチャート1位を獲得、その勢いを駆って、’64..2.7 アメリカ上陸となったわけです。そして、数々の映像 2.で残っているように、ビートルズはアメリカもひっくり返したのです。ビートルズマニアは世界中に溢れ、良識ある大人達が眉を顰めるという社会現象も引 き起こしていきます。我が日本では「エレキを弾くと不良になる」と全国の高校中学が大まじめにそう言って憚らなかった時代を招きます。寺内タケシが言うが ごとしです。私はその尻尾にぶらさがっている世代です。そういう空気を覚えています。’64といえば昭和39年、東京オリンピックの年、私は小学2年でし た。中学生高校生の兄ちゃん達が、ベンチャーズやビートルズ(あのころは、私の記憶が正しければベンチャーズの方がうんとブームでした、テケテケテケの方 が印象に強いです)のドーナツ盤を45回転レコードプレイヤーで鳴らしていたのをよく覚えています。今は昔のお話です。◆ザビートルズ アンソロジー TOBW-3201~05 (DVD)
◆エドサリバン presents ザ・ビートルズ VABS-0010 (DVD)

■ 我が愛しのビートルズ ?その1?

ビートルズに関する書物は世に溢れています。世界中の音楽シーンをひっくり返した、まさに一世を風靡したバンドですから、公式、非公式を問わず記録や逸話 には事欠きません。海賊版レコード(非公式の音源)の多さも群を抜くのではないでしょうか。 かく言う私もライブ演奏の海賊版を手に入れては、胸をときめかしてきた手合いです。 ものすごい歓声の間から漏れてくる、その辺のラジカセで録りました風の「ひどい音」に耳を凝らし息を呑むわけです。 ビートルズそのものなのです。お行儀 のいいレコード音源でない、隠し撮りですからオーバーダビングなどあるはずのない、ライブそのままの演奏なのです。ジョンは歌詞間違えても平気だし、ギ ターの音もベースの音もこれでもかというほどの大音量。あの時代の、モニター(コンサートなどでプレイヤーの足下に、観客席側から見ると向こうむき、プレ イヤー向きにスピーカーが置いてあるでしょう。あれは自分の声やら自分の弾いている楽器の音やらを聞くためのものなのです。これらをモニターと言います) がないばかりでなく今から思えばPA環境などないに等しい状況、アンプから大音量で出す、それに負けないように声を出す、ドラムを叩くだけの演奏、きっと 本人達には自分の声や楽器の音が聞こえていないんじゃないかというものすごい状況下で、それでも彼らはきっちりとハモっているし、ジョン以外は間違えな い、アウトにならない。私は、ビートルズのライブバンドとしての力はリンゴスターのタイトでシュアーなドラミングに多くを因ると思っています。むろん、曲 自体の優秀さやハーモニーの堅固さなど他に要素は多いにせよ、です。ドラムがシュアーで、ベースが堅実となれば、バンドは揺れません、これは一般的に、で す。そういう基本的な強さも当然ながらビートルズは十分に持ち合わせていたと言うことです。だから、ジョンが少々間違えようがご愛敬であるし、こうやって 後世の評価にも耐えられるというわけです。公式にもビートルズのライブ盤は2枚、解散後に出ています。ワーワーキャーキャーの極めつけの’64ハリウッド ボールでのライブ盤1.と、デビュー直後’62のそれこそマイク一本で録ったとされる初期の音源2.の二つです。もうひとつ、イギリスのラジオ局BBCで のスタジオライブ音源3.もあります。私は、2. 3. に唸ってしまいました。リンゴスターの力量たるやすごいと思いました。少なくとも初期のビートルズにおいてはリンゴのタイトさこそがバンドの要だったのだ と私は密かに確信しています。

1. The Beatles at the Hollywood Bowl ( EAS-80830, 1977)
2. The Beatles Live at the Star-Club in Hamberg 1962 ( VIP-9553~24, 1977)
3. The Beatles Live at the BBC (TOCP-8401~02, 1

© Mersey Box. 2017 All rights reserved.