• マージーボックス

7月のごあいさつ

ビートルズが来日してから50年が過ぎたとTVはえらく煽りました。プレスリーの何々記念よりもうんと話題になります(もっともプレスリーは日本には来ていませんが)。ビートルズの前はプレスリーですから、日本でもコアなファンは多かったことです、湯川れい子が筆頭ですか。来日したのが1966年です。ブログにも書きましたが、私は小学4年生でした。周りにビートルズなどは皆無でした。ベンチャーズも聞かなかったんじゃないでしょうか。私は小学1年から3年まで京都の母の実家で過ごしました、一回り年上の叔父がいました関係もあったのでしょうが、彼の地のベンチャーズブームはよく覚えてます。カラーテレビが出始めの頃、各家にTVが行き渡る頃(もちろん白黒です)、TVが家具の時代です(鏡台よろしく覆いを掛けたり、拡大するために画面と同サイズのペラペラの薄いレンズをかぶせたり。カラーテレビには開き戸があったりして)。レコードの再生機もステレオなんてのは高価な家具、床の間に鎮座ましますもの、通常の家庭にはプレーヤーと称するコンパクトな卓上タイプがあるばかりですが、皆それを鳴らしてる。45回転のドーナツ盤です。当時もLP盤はあったのでしょうが見たことがなかったですね。あの小さなプレーヤーでLP盤をかけられたのでしょうか。当時は雑誌のおまけにソノシート盤のペラペラのレコードがよく付いてました。レコード針が削るカリカリ雑音を背景にしてに楽しみに聴いたのもです。テケテケテケが辺り中に聞えている感じでしたよオーバーじゃなくて。だから小さい子でも覚えてしまう。雑誌を読んでいると、ビートルズ旋風とよく言うけれど、日本ではまずベンチャーズだったんだ、ビートルズが好きってのは数は少なかったぞと目にします。私の小学低学年時のあやふやな記憶からも、ベンチャーズ一番だったという意見には肯ぜます。でもビートルズの曲も覚えているのです。京都から当地へ転校して来て、洋楽の環境がなく、中学に入ってから人に勧められてS&Gを聴き(洋楽入門の定番ですね)、後輩にビートルズのオールディーズを借り、ガツン!という経緯なのですが、知ってる歌が多かったのです、ビートルズの曲と知らなかっただけで。抱きしめたいもヤァ―ヤァ―ヤァ―も She loves you も。低学年時代に聴いていたのです。体に沁みていたのです。両親は音楽好きなのですがこっち(ロック)には全く興味のない人達で、こちらからの影響はないのです。つまり東京オリンピック前後はベンチャーズの印象が強いのだけれど、やはりビートルズも十分に浸透していたというわけです。当時のチケットを見せびらかしてる連中が誰も64歳65歳なんですね。5歳上です。たった5年!この差が大きいこと、です。私が小学4年ですから彼らは中高校生、一番飛びつく頃ですわね、私も中学2年の時でしたから。羨ましいとつくづく思うのです。サージャントペッパー・・で頂点を極めてその後も、マジカルミステリーツアー、ホワイトアルバム、アビーロードと円熟していくのをリアルタイムで追いかけて行けたのですから。東京公演のビデオも何回も見ました。あの録画が初回の演奏ではなくて(初日はひどかったんだそうです)何回目かにブライアンエプスタインが本人達に気合を入れさせてから録ったという裏話も何度も読みました。けれど、あの時の空気をあの時に共有できなかったのはやはり残念としか言いようがないのです、たった5年の差ですから。とまれ、50年経っても色褪せぬは彼らが如何に時代を画した不世出の存在であったかの証ではあります。今日は何故だか No Reply の最後のC?コードが胸に沁みます。

2016.7.1?? 弘田直樹

© Mersey Box. 2017 All rights reserved.